« 中国経済の減速の評価分かれる | トップページ | 中国のGDP統計に透明性を求めるIMF »

2015年10月19日 (月)

維新の党迷走の原因は橋下大阪市長の求心力の低下である

現在の【維新の党】が結成されたのは昨年の9月22日で、国会に議席を持たないが実質的な党首として振舞ってきた橋下徹大阪市長が率いる【日本維新の会】とみんなの党を離党した江田憲司氏が中心となって立ち上げた【結の党】の合併によってである。
14年12月に行われた衆院選で維新の党は41議席を獲得して民主党に次ぐ野党第2党となった。政党結成後3カ月で衆院選に突入したために12年の衆院選で議席を失った民主党や未来の党さらに国民新党の前議員などを【維新の党】の公認候補として立候補させ、それらの候補者は【日本維新の会】の看板で比例復活当選を果たしている。党勢拡大のためとはいえ、維新の党は内部矛盾を抱え込んだことになる。
5月17日に行われた【大阪都構想】の是非を巡る住民投票までは【維新の党】の主導権は橋下市長を中心とする【日本維新の会】が握っていた。
しかしながら、僅差とはいえ大阪都構想が否決され、橋下市長は、将来的にはいざしらず、引退宣言をせざるを得なかった。これを契機に橋下市長の【維新の党】内での求心力が衰えたのだ。それを象徴する一つの事件が分裂騒ぎの発端となった当時の柿沢未途幹事長の山形市長選挙での民主党と共産党が支援する候補者の応援演説であった。
柿沢氏が応援した候補者は元防衛省の職員の梅津ようせい氏である。梅津氏は安保関連法案反対の立場を前面出して市長選を戦ったが、1773票の僅差で敗れた。梅津氏が当選していれば柿沢氏の立場は変わっていたかもしれない。
柿沢氏の行動を激しく非難したのは維新の党顧問の松井一郎大阪府知事である。松井氏は菅官房長官と親しい関係にあり、自身が再度立候補を予定していた大阪府知事選での水面下での自民党中央の支援を期待していたという隠れた背景がある。松井氏にとって安保法制に反対する候補者を担ぐ柿沢氏を許せなかったということになろう。
野党の国会議員にとって最大の関心事は次回選挙に向けてどういう行動を取れば当選できるかである。維新の党所属の国会議員もその例外ではない。
大阪府内の選挙区を地盤とする維新の党議員は橋下市長と行動を共にする以外の選択肢はない。小選挙区で敗れても【近畿ブロック】での比例区の当選の可能性が高いからだ。
それ以外の地区の議員にとって賞味期限が過ぎて引退を表明した橋下市長に恩義を感じているにしても自身の当選を考えた場合橋下氏に与することに躊躇しているのだ。【大阪維新ブランド】は大阪地域のブランドに戻ってしまったからだ。
11月22日投開票の大阪市長選挙と大阪府知事選挙の結果次第で維新の党の議員の奪い合いは決着する。
【時事ドットコム】は10月19日朝、維新の党の分裂騒動について、『維新の党が、橋下徹大阪市長に近い大阪系の国会議員12人、地方議員ら153人を除籍(除名)した。除名された議員らは処分は無効と主張。大阪系だけで「維新の党」臨時大会を決行する方針で、「維新」の名も懸けた本家争いは泥沼化している。
 ―分裂の原因は。
 発端は9月の山形市長選だ。当時の柿沢未途幹事長が地元の意向に反して選挙応援に入ったことに、党顧問だった松井一郎大阪府知事が激怒。創業者の橋下氏と共に離党し、新党結成を宣言する事態に発展した。首相官邸ともパイプがある橋下氏らは、松野頼久代表ら執行部が民主党との連携を強めていることにも批判的だった。近く「おおさか維新の会」を旗揚げする橋下氏らは、松野氏らに党名から「維新」を外すことも求めている。』と配信している。このような分裂騒動が起こったのは橋下大阪市長の求心力の衰えが最大の原因であるが、別の表現をとるならば【大阪維新の会】の歴史的使命が終わったということであろうか?   (おわり)

|

« 中国経済の減速の評価分かれる | トップページ | 中国のGDP統計に透明性を求めるIMF »

9政局」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 維新の党迷走の原因は橋下大阪市長の求心力の低下である:

« 中国経済の減速の評価分かれる | トップページ | 中国のGDP統計に透明性を求めるIMF »