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2013年8月10日 (土)

石森久嗣前衆院議員、政治活動停止

09年の衆院選の公示直前、お盆前に、当時の民主党宇都宮市議の紹介で石森久嗣氏(民主党公認衆院選候補者予定者)に民主党栃木県連事務所近くの某社事務所でお会いしたことがある。そのとき筆者は石森氏が栃木1区で勝てるとは思ってなかったので大変不躾とは思いながら「落選されたら次回も出馬されるのですか」と尋ねてみた。それに対して「今回しか船田先生に勝てるチャンスはないので、今回敗れれば次回は出ません」と明瞭に答えていただいたことを記憶している。その答えに対する筆者の正直な感想を言えば、「国政を軽んじているのではないのか」という思いであった。
09年9月の政権交代後、民主党は政治経験の乏しい議員集団の弱点を露呈し、東日本大震災が勃発した時点で、民主党内閣では既に首相は2人目の管直人氏となり、その菅氏も支持率は低迷していた。3月11日の震災当日、石森氏は何を考えたのか、数時間をかけて自転車で宇都宮に戻っている。本来ならば、東京にいて震災に対応するために民主党幹部の指示を待っているべき立場なのである。
石森氏は地元紙の下野新聞社に連絡して【自転車で宇都宮に帰ってきたことを記事にしてほしい】と依頼したという。担当記者が震災の2~3日後に筆者に話してくれたので事実であろう。下野新聞は石森氏の行動を政治活動とは認めなかったので記事にはしなかった。以後、石森氏は下野新聞に対していい感情を抱いていない。
筆者はこの話を聞いた折に【宇都宮市民は間違った選択をした】という感慨を持たざるを得なかった。震災の被災者の方々がこの事実を知ったならば怒りに震えたであろうことは想像に難くない。石森氏は、震災を自らの選挙運動に利用しようとしたからだ。
昨年末に行われた衆院選で石森氏が獲得した票数は約5万5千票で、約10万票を獲得した船田元衆院議員に大差で破れ、比例復活もならなかった。選挙当時、石森氏を支えるべき民主党の宇都宮市議は8人、県議は2人であった。筆者の推測も入るが、立場上石森氏を応援していたが、真剣に石森氏当選に向けて汗を流した議員は1人もいなかったであろう。ある市議は応援しない理由を「人間性が変わらない限り応援はしない」と筆者にはき捨てるように話してくれた。人間性を変えることはほぼ不可能なので、次回出馬しても応援はしないという意味なのであろう。
石森氏もそうした市議、県議の感情は骨身にしみて分かっているので民主党を離党したうえで、事実上引退をしたと思われる。
下野新聞電子版【SOON】は、8月9日午後、『民主党の前衆院議員石森久嗣氏(51)は9日、下野新聞社の取材に対し、月内に離党することを明らかにした。民主党県連第1区総支部長も退任し、政治活動を当面休止する。ただ、「引退するとは言わない」として政界復帰の可能性は否定していない。
石森氏は、2009年に衆院栃木1区で初当選し、昨年12月に落選。その際「リセットしようと思った」といい、7月の参院選を待って離党を決断したという』と配信している。
石森氏は6月末日で事務所を閉鎖しており、選挙用の遊説カーも参院選公示前に売却していた。今後の可能性としては1~2年後に政治情勢が大きく変わり、みんなの党の支持率が回復すればあるいはみんなの党から石森氏に声がかからないとも限らない。
人材難にあえぐ民主党は次回の衆院選、知事選、宇都宮市長選は不戦敗の可能性が高い。それ以前の15年の地方統一選挙において民主党は宇都宮市議会と栃木県議会宇都宮選挙区選出の現有議席数確保も困難な状況に追い込まれるかもしれない。、  (おわり)

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